THE HISTORY OF TEA

ようこそ、お茶の世界へ。

紀元前から人々に親しまれ、時代とともに変化発展してきたお茶の歴史。その深遠なる世界を、少しだけのぞいてみませんか。ルーツを知ればきっと、お茶がより愛おしく、味わい深く感じられるはずです。

岩茶 −仙人が愛したお茶−

岩茶は中国・福建省にある武夷山(ぶいさん)でとれるお茶のこと。岩肌がむき出しの赤く切り立った崖の間を渓谷が巡る、まさに水墨画の世界が広がっています。その景観の美しさは「武夷仙境」と称えられてきました。

この山には昔から仙人が住んでいて、仙薬の一つとして、岩茶を飲んでいたと言われています。武夷山の岩肌に根を下ろし、岩に含まれるミネラルをふんだんに吸収して育ったお茶は、生命の息吹に触れるような心地の良い余韻が残ります。

 

茶肆ゆにわでは、信頼できるバイヤーさんが現地で直接買い付けてきた、最高品質の岩茶をお出ししています。一口飲めば、まるで桃源郷にいるかのような、エネルギーの高まる感覚を味わっていただけるでしょう。

日本茶 −その歴史に魅了される−

奈良時代|王侯貴族の飲み物

最初に日本へ伝わったお茶は、遣唐使が唐から命がけで持ち帰ったものでした。

お茶といっても、当時は急須を使って入れるような形ではなく、茶碾(ちゃてん)という道具を使って粉々にしたものを、鍋で煮出していたようです。

この頃のお茶は非常に貴重で、僧侶や貴族など限られた人々だけが口にできるものでした。その後、遣唐使の廃止とともに、喫茶文化は一時期、停滞します。

鎌倉時代|禅僧たちの修行のお供

鎌倉時代に臨済宗の開祖・栄西(えいさい)が、中国・宋から、多くの経典とともに、茶の苗を日本へ持ち帰りました。

鎌倉時代には、茶を細かく砕き、沸騰した湯の中に入れてかき混ぜて飲む「抹茶法」と呼ばれる飲み方が主流になっていました。禅僧たちの間で、お茶は「修行中に襲ってくる睡魔を抑え、精神が集中できる」ということで、禅宗の布教と共に広く普及したと言われています。

栄西は、茶の種類や抹茶の製法、身体を壮健にする喫茶の効用が説かれた「喫茶養生記(きっさようじょうき)」を残しました。

室町時代|茶道の完成

室町時代に入り、村田珠光(むらたじゅこう)、武野紹鷗(たけのじょうおう)、千利休(せんのりきゅう)らによって現在まで残る茶道(抹茶)の形に完成されます。

 

利休らの茶道は武士階層にも広まりますが、この頃はまだ大名や豪商などごく限られた人のたしなみでした。

江戸時代|自由な煎茶が庶民へ

1654年、中国・福建省から渡来した隠元(いんげん)禅師が伝えた淹茶(だしちゃ/えんちゃ)法は、釜炒りした茶葉に熱湯を注いでしばらく待つという方法でした。

手間をかけず、簡単にお茶を飲めるこの方法は急速に広まります。そして、茶の湯と禅宗の衰退に対する批判を背景に、自由な気風で煎茶を飲み清談(せいだん)を交わす「煎茶趣味」が江戸文人の間に流行しました。

その後、煎茶の中興(ちゅうこう)の祖と呼ばれる売茶翁(ばいさおう)によって、煎茶が江戸庶民の間にも広まっていきました。

明治〜昭和|お茶の近代化

明治初期、日本茶は輸出品として発展し、大規模な茶園の造成や機械化が進みます。明治中期以降はインド、セイロン紅茶の台頭により、輸出が減る代わりに国内の消費が増加。

昭和には飲食店や家庭でお茶が出るのが当たり前の光景になるほど、お茶は日本人の生活に根付いていきました。

現代|守りたいお茶の魅力

缶入りの煎茶が登場したのは1985年のこと。今ではペットボトルでも売られています。より手軽にお茶が飲めるようになった一方、安く、大量生産して、風味の劣化を防ぐためにビタミンC(酸化防止剤)を多用したり、農薬がたくさん使われる問題が出てきました。

いいお茶を作るには、保存料などを使わず、手間ひまかけてじっくり茶葉を育てるため、生産できる量にも限りがあります。せっかくの良質なお茶が消費者の手に届かないまま、熱意ある生産者さんが廃業に追い込まれてしまうことも少なくありません。
 

だから、茶肆ゆにわでは、生産者さんが丹精込めて作った美味しいお茶の魅力を伝え、守っていきたいのです。目の前の一杯を味わうとき、ぜひお茶の文化を紡いできた先人たちや作り手の思いを感じながら、お茶を味わってみてください。

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